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春に母校で思う/早稲田雑感

 5月12日土曜日、今朝の日本経済新聞最終面(文化欄)に早稲田大学歴史館が大きく紹介されていた。「早稲田大学は中期経営計画に『キャンパスのミュージアム化』を盛り込んでおり、歴史館もその一環」との文化推進担当理事・李成市学兄の言葉も記事には含まれていた。李学兄からは2か月ほど前にご教示いただいていたので、春の懇親会に合わせた3月24日、私は歴史館を訪問してから会に参加しようと早めに母校に赴いた。

 東西線の早稲田駅からかつての早稲田実業の方に折れ、つまりメルシーの前を通って、新しい学生会館の脇から大隈講堂前のロータリーに出る。常にたどる狭い道から視界が開けたとき、いつもと違う光景に、私はいささか面喰らった。おびただしい人、人、人。「ああ、今日は理工の卒業式であった」とすぐに気づきはしたのだが、記憶を辿ってもピッタリ30年前の自分の卒業式の映像と重ならない。そもそも私は卒業証書をもらいに行っただけだし、式には大幅に遅刻した。

 「中退一流、留年二流、4年で卒業ただの人」。タモリ等、メディアで活躍する人に中退者が多かったことから、私が通っていた当時の学生は、大多数が4年で卒業するにも関わらず、無頼をきどってそううそぶいていた。その言葉の通りなら、1983年に入学し1年留年して1988年に卒業した私は「二流」の「早稲田マン」ということになる(卒業式にわざわざ遅刻するなど、まったくもって「二流」らしい「粋がり方」で、今となっては恥ずかしい限り)。先日、幹事の間で「早稲田マン」という言葉は一般的に流通していたのかとネット上で議論になったが、決めゼリフを「肩で風切るオイラは早稲田マン」とする戯れ唄を、早大学院出身の同級生が入学時のコンパで唄っていたのを記憶しているから、慶應ボーイに対抗する呼称としてあることはあったのだろう。しかし、大隈講堂を尻目に、正門から歴史館に人をかき分けて進むにつれ、ライバル校ほどに一般化しなかったその呼称も、今となっては「死語」に違いないと思うにいたる。かき分けた人の波が、理工の卒業式だというのに、女子でいっぱいだったからである。

 歴史館に展示された建学当時の写真に映る学生の中には、追いはぎと見紛うなりをした者が多数いた。今日ではこれも死語なのだろうが、「バンカラ」をかろうじてパブリックイメージとしていた30年前の早稲田は、文学部と教育学部の一部の学科を除いて「男」ばかりだった。もちろん、単に校風だけの問題ではなく、社会的な背景があることは承知しているが(男女雇用機会均等法が施行されたのは私が大学3年の1986年4月)、早稲田といえば「マン」だったのだ。

 それがどうだ、今や「勢力図」は塗り変わった。校友会から送られてくる早稲田学報には「ワセジョにいいね!」という連載コーナーがある。当会の準会員である学生生活課課長 関口八州男氏から「近年、成績上位者はほとんど女子」と聞いたこともある。考えてみれば、当会に参加する在校生たちだって男女のバランスが当たり前に取れている。もうむさ苦しい大学ではないのだ。

 加えて、卒業生と父兄でごった返すキャンパスを逍遥していて気づいたことがある。あらゆる人種の卒業生が、その父兄とともに卒業を喜び合っていた。ハッとするほどに留学生がいたのだ。昨年の総会で祝辞をくださったダイバーシティ担当・畑惠子理事のお話を思い出す。前述の関口氏も、現在は学生生活課課長の他にスチューデントダイバーシティセンター課長を兼任している。早稲田は本気なのだ。

 もうひとつ、強く印象に残った情景について記しておきたい。目的を果たし、懇親会会場リーガロイヤルホテルに向かうため、キャンパスの喧騒からいくらか隔てられた、といっても普段よりは人の多い大隈庭園を横切っていたときのことだ。大隈講堂の写真を撮ろうと思って振り返る。幼児が駆け回り、きらびやかな晴れ着や慣れないスーツを着た若者たちが遠くで笑い合っている庭園で、ヒジャブを巻いたイスラムの女性が、静かにそして穏やかに祈りを捧げていた。それは、とても美しい平和な春の情景だった。大げさかもしれないが、私はシャッターを切りながら感じた。「世界はこうあるべきだ」と。

 なりふりかまわず「憎しみ」に溢れかえる今日だからこそ、母校には多様性とダイバーシティの砦になってもらいたいと切に願う。そんな母校であれば、もちろんのこと喜んで末端に連なっていたい。「早稲田はそうあるべきだ」心からそう思うのだ。

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