韓国最高裁の徴用工判決について。
2018年10月30日、元徴用工の韓国人4人が新日鉄住金(現・日本製鉄)に損害賠償を求めていた裁判で、韓国の大法院(最高裁判所に相当)は計4億ウォン(約4000万円)の支払いを命じました。その後、三菱重工などに対しても同様の判決が出ています。
この大法院判決はいわば「第8審」にあたります。この裁判の原告ら(徴用工の被害者)の一部は日本でも1990年代に裁判を起こしたが敗訴していました(1審~3審)。さらに韓国で裁判を起こしたのですが、韓国でも敗訴していましたが(4審~5審)、「6審」にあたる2012年の大法院判決が逆転して、高裁に破棄、差し戻しをしました。「7審」の高等法院(高裁)は原告の請求を認めました。これに対し新日鉄住金がさらに韓国の最高裁に上告をしました。新日鉄住金のこの上告を棄却したのが2018年10月の今回の判決です。6審の判決でも今回の判決と同様の内容はすでに判示されていました。しかし、日本側は今回の判決に強く反応しました。
被害以来、70年以上、日本での提訴からでも30年以上の苦闘の上、ようやく勝訴を確定させたのが今回の原告ら(徴用工の被害者)でした。しかし、残念ながら、日本の新聞や、テレビなど、メディアの報道も被害者に冷たい印象でした。被害者に同情する報道はあまりなく、それよりも、解決済みの国際合意を、未熟な韓国社会や、韓国の裁判所がひっくり返した、とするような報道が目立ちました。
日本政府と日本のメディアが「一致」したことにより、「徴用工問題」についてはすでに日本世論は強固に形成されてしまったようです。徴用工の被害者に寄りそった解決策は日本からは当分、出てきそうにありません。日本メディアの記事では良心的な記事も「喧嘩両成敗」の記事にとどまっているようです。しかし、「韓国はもちろん悪いのだが、日本も反省点がある」というような喧嘩両成敗の立場を超えていかなければなりません。植民地主義の歴史とその克服の視点を日本社会、なかでも日本のメディアの記者たちが獲得することが重要です。
問題になっている、1965 年に締結された請求権協定 2条 1項には、たしかに「完全かつ最終的に解決」との記載があります。
しかし、「完全かつ最終的に解決と書いてあるから完全かつ最終的に解決済みだ」で済むほどこの問題は単純ではありません。というのは、日本政府自身が、「完全かつ最終的に解決とは個人の権利の消滅を意味しない」と力説してきた歴史があるからです。結局、新日鉄住金などが任意で賠償金を徴用工の被害者に支払い、謝罪することに対して、日韓請求権協定は法的な障害にはならないのです。
今回の大法院判決は、「痛切な反省と心からのお詫び」を血肉化し、そして人類が過去に犯した植民地主義、「人を目的として扱わず、手段として扱う社会体制」の誤りを二度と繰り返さないという決意を、日本社会や、東アジアに定着させていく一過程といえます。とはいえ、実際にはそうではなく、とくに過度な「国別対抗戦」の視点から逃れられない、というより、どっぷり浸かっているように思える、日本のメディアの報道などをみれば、逆に、そこからの大きな後退を示しているのではないかという疑念もあります。しかし、大法院判決を、「パンドラの箱を開けるもの」としてだけとらえるのではなく、「鎮痛へのプロセス」であって、真の平和の礎を築くためのものだと考えるべきでしょう。
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